怒りの奥にあるもの
- 舟橋 学

- 11月10日
- 読了時間: 2分
〜人を信じるという修行〜
今日は「怒り」についてお話ししたいと思います。
私は普段のセッションの中でも、「怒りは二次感情です」とよくお伝えしています。
本当の怒りの裏には、“期待”や“信頼”といった一次感情が隠れています。
たとえば、「この人ならわかってくれると思ったのに裏切られた」「こんなに信頼していたのに、軽んじられた」――そんな思いが反動となって、怒りとして噴き出してくるのです。
ですから、怒りは単なる感情ではなく、“人をどれだけ信じ、期待していたか”の証でもあります。
しかし同時に、その怒りの背後には、恨みや妬み、念、そして「力(ちから)」といったエネルギー的な作用が生まれることがあります。
私の行う検査でも、人に強く怒りを向けている方には、そうした「念」や「呪」が多くついているケースが見られます。
実は、私自身にもそうした経験がありました。ある方に深く信頼を寄せていたのですが、その方は表面上はとても善人に見えながら、実際には人を利用し、自分の利益だけを追う方でした。
後になってわかったことは、その方には多くの恨みや念、呪い、生霊という人の怨念が渦巻いたとという事です。つまり、人の“業(ごう)”というのは、隠してもエネルギーとして表に出てしまうのです。その方からそのような仕打ちを受けた方が相当たくさんいるという事です。
その方はそれを背負って生きていき死んだあとは裁きを受けることになると思います。
最近では、投資やビジネスの関係で同じように信頼していた人から裏切られ、大きな損失を抱えてしまった方の相談も多く聞きます。
「人を見抜く目を養うこと」これは、霊的にも現実的にもとても大切な人生の修行の一つだと思います。
簡単に人を信じすぎてしまうと、自分が痛みを受けることもあります。しかし、だからといって誰も信じない生き方では、心が閉ざされてしまいます。
大切なのは、「見抜く力」と「信じる力」を、バランスよく育てていくこと。
私も、まだ許せない気持ちを抱えながら、「なぜ自分がその経験をしたのか」「そこから何を学ぶのか」を見つめています。
騙されたというよりも、“信じることの深さ”を学ばせてもらったのかもしれません。
怒りは、心の成長の通過点。怒りの奥には、あなたの「愛」や「優しさ」が眠っています。
そのことに気づけた時、怒りは癒しに変わり、魂はまた一歩成長するのだと思います。




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