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執筆者の写真舟橋 学

母との別れ

先日、母が急死しました。

病院に処置入院として数日の予定でしたが、数日してから急に体調が悪くなってきて

このままじゃ、家に帰るのは難しいね、と転院の相談をDrとす予定だった前日の明け方でした、1人で逝ってしまいました。

朝早く病院から心肺停止の状態です、と電話があり慌てて病院にかけつけましたが

そこには、心臓も呼吸も停止した母がいました。

あまりに急でしたので、感情がかなり乱れました。


神様にお願いをして日に何回か施術をしていましたが、結局助かりませんでした。

しかし、救済されたのは肉体ではなく魂の方だと後からわかりました。

肉体からの解放だったと思います。

生前、母は寝たきりや、認知症、にはなりたくない、もちろん私たちにも迷惑かけたくないし施設にはいて長生きもしたくないと言っていましたので、まさにその願い通り逝きました。

最後に数日体調不良はありましたが、それも数日でした。亡くなる前日に見舞いに行って

「明日また来るから」が最後の言葉でした。

亡くなってから

魂の状態もみましたが、とても清々しく、自分の寿命であったことはわかっていました。


こいう場合は残された方が精神的には大変で整理がなかなかつかない状態ですね


「いつか死ぬのはわかっているけれど、それは遠い未来の話」。

命あるものはいつか死ぬとわかっていても、それがいつなのかなんて誰にもわかりませんし、私たちの多くが今を楽しく生きるために、自分自身や家族、友人の死についてできるだけ考えないよう、死から目を背けているのではないでしょうか。


どんなに望んでも決して避けられない死。ですが、「死への準備をするということは、良い人生を送るということである」と何かの本に書いてありましたが自分の「死」について考えることは自分の「生」を考えることでもあります。


死から生を見ると自分がどういう生き方をしないといけないかが見えてきます。

年齢に関係なく人はいつ死ぬかわかりません、その時が来た時に「自分の人生はいい人生だったと思っていきたいですね」


世間では終活が結構言われていたり、エンディングノートを書いておくとか、遺言とか


世間の話だと私も少し思っていたところもあり、もっと母とたくさん話をすればよかったと、今は少し後悔しています。

悲しんでばかりいても仕方ないので、前を向いていきます。


亡くなった人が家族に思うことはたった1つだと思います、それは後に残った者たちがみんな幸せであってほしいということです。

ですから、幸せに生きていくために努力していく必要がありますね。


亡くなった方は、49日までは自宅にいて普段とおりのことをしています。

私の母も日中はよく出かけていたので、毎日、魂の状態みると昼間はどこかに出かけてます、きっと仲良しのお友達のところに行ったりしてるんだと思います。


別れは悲しいですが、そこから何に気が付いて自分の生き方を豊かにしていくかが、大事なのだと私は思いました。


読んでいただいた方、私事にお付き合いいただきありがとうございました。

感謝を申し上げます



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