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執筆者の写真舟橋 学

「信じるとは」

田坂広志氏の言葉です


自信、信念、信頼、信望、信仰、信心・・・ 


これらの言葉に使われる「信」という文字


この「信」ということの本当の意味は、


「ただ、無条件に、そのことを信じる」という意味。


「科学が証明している」や「過去の事実が証明している」


という理由で信じることは、本当の意味での「信」ではありません。



それは、どこまでも、無条件に「信じる」こと。


それは、どこまでも、迷いを捨て「思い定める」こと。


それは、どこまでも、腹の底から「覚悟を定める」こと。


 もとより、それは、決して容易なことではない。


しかし、我々が、その意味において「信ずる」ことができたならば、


不思議なことに、我々の中に眠っていた「潜在力」が開花し始めます。


 例えば、己の可能性を深く「信ずる」ことができたならば、


我々の中から、想像もしていなかった「才能」が開花し始める。


人生の出来事には必ず意味があると「信ずる」ことができたならば、


我々の人生における「運気」が好転し始める。


私がよくガンの方におすすめしている本とか動画の田坂氏の言葉です。


眼に見えることしか信じない方はたくさんいますが、目に見えない力やパワーがあるのも

また事実です、私の施術もその一つで、画面上でお会いす方が変化をされます。


信じない方は施術を受けに来ないわけで、来られる方はご紹介の方を信じて、当然何らかの変化が起きるとと思いいらっしょいます。


そこで、施術をすると、さっきまでの自分と違う自分になるわけで、そうすると新たにそこから、自分の行動や考えが変化したりします。人生が変わる方もいます。


私も神仏にお願いして、変化を起こしているわけで、神仏に対して絶大な信用、信頼をして日々過ごしています。

そして日々感謝と敬いをかかしておりません


本当の信じるという意味は田坂氏が言うように


それは、どこまでも、無条件に「信じる」こと。


それは、どこまでも、信じて迷いを捨て「思い定める」こと。


それは、どこまでも、信じて腹の底から「覚悟を定める」こと。


これなんだと思います。

大病や苦しみのどん底にならないとそうやらない人がいますが、あなたが神様仏様なら

何と言いますか?「こんな時だけか」「自分では何をした?頼むだけか?」なんていいたくなりますよね


最近は神仏を敬い大事にしている方とよくお会いするようになりましたが、やはりそおいう方たちは、運気がよい方が多いです。

生かされている事だけでも感謝です、何を信じるかは自分次第ですが

「信じる」そのことで自分の人生が変わると思います。


今一度、「信じる」について考えてみるのもよろしいのでは





 



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